Profile


青山 晴美



米国オレゴン大学言語学部卒業

南オ-ストラリア大学大学院アボリジニ学部修士課程修了

アボリジニ研究者

愛知学泉短大教授

Story1

先住民と出会う旅

アメリカでの大学時代、

オレゴンからニュ-ヨ-クまでの大陸横断の途中、

生まれてはじめて出会ったネイティブアメリカン。

場所は、アリゾナ州。

抜けるような青い空。

夏の日射しが容赦なく照りつけていた。

道路沿いの小屋で、ビ-ズアクセサリ-を売っていた母子。

裸足で立ちすくむ少女。砂ぼこりで足は白くなっていた。

私を一瞥しただけで、ひたすらビ-ズに糸を通す、シワの刻まれた母親の手。

私の足は止まり、目はくぎ付けになった。

その瞬間、私は、まるで、やり残した魂の宿題に出会ったような衝撃を受けた。

そんな魂の宿題を確認するかのように、私は、その後も、先住民を訪ねて、旅をした。

カナダ横断。

メキシコ縦断。

メキシコのサン・ミゲル。鮮やかな花が咲き乱れる美しい古い街。

石畳の道で、飢えたインディオの老婆がうずくまっていた。

擦り切れた毛布の中から、「ペソ~」という呻きとともに、骨と皮になった小さな手が出た。老婆の瞳は濡れていた。

私は、ポケットに入っていたありったけの銀貨を老婆に握らせた。

その時、決めたのだ。

先住民族と関わることを一生の仕事にしようと。

まだ、若かった学生時代の自分との約束。

私は今もそれを守っている。

その後、

中国・チベット横断、ヒマラヤ越え、ネパ-ル各地を旅した後、オ-ストラリアでアボリジニに出会った。

先住民族のことを学べる大学院をさがしていた私は、オ-ストラリアに「アボリジニ学部」があることを知り、迷わず、入学。

それが、それから後に開かれる、すべてのドアの入り口だった。

私が、自分の生まれてきた意味を知り、本当の自分を思い出すための、魂の宿題をする道に歩み始めた瞬間だった。

Story2

はじめてオ-ストラリアに着いた私がまずしたのは、

アボリジニ文化センタ-を訪ねること。

受付にいたのは、若いアボリジニの女性だった。

すっかり意気投合した私たち。

無我夢中でこれまでの先住民との出会いを語った。

小一時間もたった頃、彼女は言った。

「私の父は、南オ-ストラリア大学で、アボリジニ文化を教えているの。よかったらウチに遊びにこない?」と。

返事はもちろんYES !

そうして、まず、「アボリジニ文化」の聴講生になった。

そして、正式に入学を決め、学部長のインダビュ-をうけることに。

アボリジニ学部の卒業生は、将来、オ-ストラリアでアボリジニに役立つ仕事をすることが条件にあった。

「しかし、君は日本にいる」

学部長は顔をしかめた。

アボリジニへの理解を深め、将来、アボリジニに役立つ仕事を日本でしたいと訴える私。

’’Why not ?’’ (なぜ、だめなのか? いや、だめのはずがない)

「君は日本に帰ってしまう。しかし、先住民への差別是正という目的は同じではないか。この日本人女性の入学を拒否することはできない」

それが、学部長の出した結論だった。

こうして、私は日本人ではじめての入学生となった。

今も、この時の約束を守っている。

著書や講演で、

アボリジニの人々の素晴らしい文化や哲学を伝えている。

太古の昔から伝わる、

人がこの地球で生きて、

生かされるという知恵を。

アボリジニの悲劇とともに、伝えている。

Main Books

「母が語るアボリジニの知恵~ホリスティックな学び」 ブイツ-ソリュ-ション 2016

「アボリジニで読むオ-ストラリア~もうひとつの歴史と文化」明石書店 2008

「女で読み解くオ-ストラリア」明石書店 2004

「もっと知りたいアボリジニ~アボリジニ学への招待」明石書店 2001

「女は冒険~中国・チベット・ヒマラヤを越えて」エフエ-出版 1987

※Booksでも紹介。こちらからamazonのサイトで購入が可能です。

Hobby

世界を旅すること


好奇心にひきずられて、ハ-ドな旅をいろいろしてきた。

目の前に道があって、

バスがあって、

鉄道があったら、

つい、そのまま終点まで行ってみたくなる。

気の向くままに、明日はどこ吹く風のような旅が好き。

かつて、

私が世界で見たのは、

先住民やマイノリティといわれる人への差別や偏見だった。

歴史は勝者の物語。

その陰には、片隅でひっそりと、必死で生きている人々がいた。

私は、彼らに涙し、共にいたいと願った。

月日は流れ、ある時、ふと、気付いた。

世界の真実は、「勝者」と「敗者」の枠組みを越えたところにあるのでは、と。

そうして、私の旅への視点が変わった。

スペインはマドリッド。

プラド美術館の一枚のゴヤの絵。

ナポレオン軍に銃殺されるスペインの民衆。

銃口を向けられて、恐怖で血走った瞳でフランス兵を見つめる男。

銃を持つ若いフランス兵。

目をふせて、引金を引く。

その顔からは、無抵抗な民衆を撃たなければならない苦しみが浮かぶ。

どちらも、犠牲者なのだ。

そこには、勝者も敗者もない。

イベリア半島横断

ピサロの生涯をさぐる旅がはじまった。

フランシスコ・ピサロ

インカ帝国を滅ぼしたスペイン人征服者。

かつて、憎しみを向けていた歴史の悪役。

ピサロの生い立ちのヒントを、生まれ故郷の村に見た。

アメリカに出港した港、肖像画、人生物語。

私のピサロの人生への共感は深まっていった。

敗者の言い分、勝者の言い分、

そして、両者の言い分を越えたところに、

真実は浮かび上がることを、私は学んだ。

それからまた時を経て、

今、私がするのは、「それでも、世界は美しい」を訪ねる旅。

「それでも、人生は喜び」を知る旅。

日々、見つけるのは、

Life is Beautiful.